「大阪北部地震」に遭遇して・・・

2018.07.11

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SRC

ライターの岡本です。
今回は、去る618758分に発生した「大阪北部地震」について、通勤途中の電車内で地震に遭遇した筆者の体験および近隣の知人から得た現場情報などを併せて報告したいと思います。

まず、この度の地震により被災された皆様、ならびにそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
また、この地震の後に発生した「西日本豪雨」により被災された皆様にも、心よりお見舞い申し上げます。
皆様の安全と、被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

「大阪北部地震」に遭遇して・・・

筆者が住む枚方市は、震度6弱という過去に大阪では経験のない揺れだったわけですが、幸いにも室内の小物が多少散乱し、マンションに僅かにクラックが生じた程度でした(これから点検が入るとのこと)。

大きな家具の転倒はなく、家人も怪我なく無事であったことが何よりでした。 

発災と遭遇

いつもとほぼ同じ755分枚方市発の京阪電車の特急に乗ったのですが、隣駅の「枚方公園」(ひらぱーで有名になりました)を過ぎたあたりで、急にガツンと電車が何かにあたったような衝撃があり、すぐに急ブレーキで停車しました。
これが震度6弱の揺れだったわけですが、私も周囲の乗客も揺れを体感できず、すぐには地震という認識がありませんでした(私の前の座席で寝ていた女性は停車後に起きて、何が起こったのかまったくわからなかったようです)。

急停車後、ほぼ全員がスマホを操作しだしたのですが、誰かのスマホでアラートが響き、大きな地震が起きたらしい・・・ということが囁かれ始めました。

筆者もスマホで大阪北部震度6弱との情報を確認しましたが、車内には「安全確認中」とだけアナウンスが行われ、周囲がどんな状況なのかは全然わからない状態でした。
停車した枚方公園あたりでは、車窓から見える風景には特に異常が感じられず、震度6弱という情報が正しいのか否か?とすら思えました。

ざわざわとした状態の中、筆者を含め乗客は安否確認や状況確認のため、電話をしたりメール(ライン?)を入れたりしていましたが、私自身は家にも会社にも電話が通じず、とりあえずメッセージだけ入れた次第です(通じている人も結構いたようです)。

そうこうするうちに家内から返信が入り、自分は無事だが家の中の小物が全部倒れてグチャグチャになったとのこと。
【以下の数点の写真は筆者の家の室内の状況:家内からの返信に添付されたもの】

不思議なことに、小型のチェストが倒れたり、(写ってはいませんが)ローボードの引き出しが飛び出したり、バルコニーに出るガラスの引き戸がすべて片側に寄ったりしたのに、観葉植物の小さな鉢は3つとも全く落下しなかったらしい??(左写真にもある通り)

チェストが倒れたのは、引き出しが飛び出て重心が前方に寄ったせいなのでしょう。

ローボード上のテレビは、ボードの上面に固定していたことで倒れなかったのかと。

一番危険だったのは、真ん中の写真の段ボールでした。
たまたま最近、書籍を整理して、古い書籍を段ボールに詰めたのはいいのですが、置き場がなくデスクの上部に積み上げていました(掃除の邪魔になるもので・・・)。普段は書斎に人がおらず、デスクの前にも何もなかったため、落下しても他に影響が出なかったのが幸いでした。

ちなみに家内は、朝食の準備中に発災したようで、キッチンにしがみついて揺れが収まるのを待ったとのこと。
湯をわかしかけていた鍋はひっくり返り、沸騰前の湯がぶちまけられ、ガスコンロは自動消火。
揺れが短かったため(数十秒)、すぐにガス栓を閉めることができました。
23年前の「阪神淡路大震災」当時も、同じ京阪沿線の隣町(寝屋川市)に住んでいたのですが、もっと揺れ時間が長くて睡眠中の家内がベッドごと動かされていたのを思うと、震度には表れない揺れの違いがあったのでしょう(たしか震度は5)。

今回は瞬間的な揺れで、以前の経験もあって冷静に家の中の崩落状態を見ていたとのこと。

さて、電車が急停車したままの筆者はというと・・・

発生約10分後の89分にセコムの安否確認が届いたため、一応会社には無事と現状を報告できたのですが、結局、隣の駅まで動いたのが約1時間後で、またそこで暫く停車。

ここまで今後の運行がどうなるかのアナウンスは全くありません。長引きそうなことで、椅子に座っていた若い女性が、立っている方に席を替わろうとするなど、他者を思いやるような振る舞いもみられました。

大阪市内の会社、同僚の携帯電話には相変わらず電話がつながりませんが、安否確認メールを送っているため、今度は山口県に住んでいる母親に通話してみたところ、一発でつながり状況報告だけを行いました。
また、発生30分ぐらいで東北事務所の同僚がメールをくれたのは嬉しかったですね。

暫くして、隣の急行停車駅(香里園駅)まで進んで運行中止、その後の予定はまったく未定とのアナウンスが入り、全員が下車させられました。
これが930分ぐらいだったでしょうか。
全乗客が下車しますが、駅舎内に留まることは危険とのアナウンスのもと、ほぼ全員が東西の駅前広場に退避させられます。

【筆者が退避した西側の駅前広場の様子(まだ駅舎内や自由通路内にも大勢が残存)】

停車中の電車内から見えていたとおり、駅前付近は特に大きく変わった様子もなく、退避した乗客も慌ただしく動く者はないという状況でした。
運転再開の目途に関するアナウンスもなく所在なげにスマホをいじる人が多かったですね。
外国人の方も見かけましたが、やはりスマホで情報収集していたようです。
京阪電車は大阪~京都(清水寺・八坂神社・祇園・下賀茂神社等のエリア)を結んでいるため、土曜や日曜は多くの観光客や訪日外国人も利用しており、休日の発災であればもっと混乱していただろうと思います。

この後、930分頃に、運転再開が早くても午後になるとのアナウンスが流れ、退避者は三々五々動き出します。

自宅から大阪市内の会社まで約20~25㎞、香里園駅は自宅から約5㎞の地点なので、1時間ほど歩いて帰宅することにしました。
線路沿いをアリの行列のように帰りましたが、沿道には特に被害を受けた建築物も見られませんでした(1箇所だけ店舗内の物品が散乱しているところは見かけましたが)。
ただ、ニュース映像で再三流れた煙突が倒壊した銭湯は、実はこの歩いて帰る途中の線路沿い(線路を挟んだ反対側)の少し奥にあったようですね。

また、すべての踏切が遮断状態になって警報機が鳴り響いており、車両が線路を横断できずに立ち往生しているケースが見られました。(地震時に踏切のある一定区間で電車が緊急停車すると、遮断機はずっと下りたままになるそうです)

今回は、自宅近くの被災だったため徒歩で帰宅できましたが、大阪市内寄りでの被災であれば、徒歩で帰るのは厳しくなっていたかもしれません。

結局、1時間歩いて帰宅しましたが、京阪電車が運転再開したのを知ったのが15時前で、余震も怖かったため、この日は自宅待機になった次第です(余震は深夜1時の震度4が最大でしたが、それも一瞬の揺れで終わっています)。

知人からの情報や雑感

ここから、地元の知人がフェイスブックにあげてくれた情報もご紹介します。

筆者の自宅からさらに約5~6㎞、京都寄りの楠葉(くずは)という町の大規模分譲マンションでは、いくつかの高層マンションのエレベーターで閉じ込めがあったようです(1時間ぐらい閉じ込められた状態の方もいたようです)。

筆者の住むマンションも21日までエレベーターは停止したままでした。複数箇所で発生していたため、点検会社の都合もあったのでしょう。
当社大阪事務所のある高層ビルも当日は停まっていたようで、高層階に階段で上がるのが大変だと聞きました。高層の住宅団地は高齢者も多く居住しており、早期に復旧しないと身動きが取れなくなってしまいます。

楠葉は古いところでは1974年ぐらいの開発地ということもあるのでしょうが、30cmくらいのコンクリート片が落ちていたり、コンクリート壁が浮いたところもあります。

また、震源に近い淀川対岸の高槻市や茨木市は、水道やガスのライフラインが大きな被害を蒙りました(水道管の破裂はニュースで再三放映)。

一方、枚方市北部では目立った被害はなかったのですが、″水が濁っているから飲まないように“という誤った情報が一部で流された所もあり(自治会単位?)、給水車に多くの方が並ぶ事象が生じました(水が濁っていない人もホンマかいな??と言いつつ並んだそう)。

実は、地震で水道管内のサビなどが剥がれて一時的に濁っただけであり、暫く流せばきれいになって、命に別条があるものではなかったらしく、知人によると″オイルショック時のトイレットペーパーの買い占めのように情報に煽られた人たちがいた“とボヤいていました。

断水もしていないのに、近隣に給水車が来ているというTV報道も、過度の集中に輪をかけたとの見方もあるようです。
緊急時の誤った情報が混乱を倍加させること、これは我々情報を扱う者にとっては、肝に銘じておかねばならないことです。
ちなみに、こんな感じのビニール製の給水袋が支給され、背中に背負って歩けるため、これはこれで重宝したと好評のようでした。

ライフラインの損傷については、地元の事業者のこんな心の温まる行為もありました。

極楽湯枚方店(スーパー銭湯)では、翌々日の20日にガス供給が停止されている市の方を対象に、「在住証明提示」で無料開放が行われました。20時以降は入場規制が必要なほど混雑していたようです。
夏に向かう梅雨時でもあり、ライフラインの被害は衛生面からも深刻な問題になると感じました。
ただし、やはり″無料開放“に便乗して、ライフラインが無事な方の利用も少なからずあったようで、事業主の方からのこうした利用を止めてもらうような呼びかけがあるなど、心が痛む報告も聞かれています。
日本人の高いモラル性など、海外では驚きをもって報道されることも多いですが、こういうことも起きているということですね。

最後に避難所に関した話です。
筆者の自宅付近では、避難所への避難者はいなかったと思いますが、知人からはこんな情報があげられています。

ある校区の避難所の小学校体育館に、下記のような″使用するときは要注意“という黄色い紙が貼られていたそうです。
モルタルも剥げ落ち、余震での揺らぎも大きく、それによる音も響き渡っているらしく、地元の校区の方は元々まったく避難所として信用していなかったとの、笑うに笑えない話があります。
ブロック塀の問題は全国で緊急対応されていますが、避難所としての適合性を見直さないといけないところも多々あるのではないでしょうか。

また、中国人の留学生の方が、知人が面倒をみている避難所に来たようですが、住所(校区)と避難所の対応を把握しておらず、本来の指定避難所ではないところに来られたようです。

今回は避難者が少なく、避難所にも余裕はあったのですが、万一もっと規模の大きな災害が発生した場合を考えると、こうした留学生(外国人)への情報周知も課題になってくると考えられます。

枚方市には、外大や国際大などの大学のほか、語学専門学校も複数あって、留学生や講師の外国人も多いと思います。

もちろん、旅行者等、訪日外国人対策も必須です(当社HPに掲載している自主調査結果もご参照ください)。

また、避難所の開設や運営を支援していた知人は、今回のように避難者がそれほど大規模に発生しない場合、どれだけの避難所を開設し、いつまで運営するのが適正なのか?ということが気になったとも言っていました。
枚方市では、48時間避難者がいない場合に避難所を閉鎖するという方針でしたが、避難所となる学校の管理職の方と市役所職員が、誰も避難者のいない避難所でぼーっと待機しているのを見ると、もう少し効果的な人員の活用ができないか?と思ったそうです(担当者の方もかわいそうだと)。

やはり普段から質の高い地域コミュニティを形成することで、市役所や学校の職員だけでなく、我々自身の共助・互助の体制を強固にしていくしかないのでは?と感じています。

筆者は今回、通勤途中で被災し、いわゆる帰宅困難(通勤困難)になりかけましたが、ライフラインの被害がほぼなかったことで、すぐに日常の落ち着きを取り戻すことができています(自動停止したガスの復旧方法がすぐにわからず少し慌てましたが)。

これまで「阪神淡路大震災」「東日本大震災」「熊本地震」等、続けて大きな災害を経験・見聞していながら、自身の災害に対する準備が十分でなかったこと、交通ネットワークの脆弱さを既視感(デジャブ)のように目の当たりにしていること等を鑑みると、のど元過ぎれば何とやら・・・で、災害対策は様々な機会に繰り返し周知し、各自が意識的に取り組まねばならないことを痛感しています。

なお、わが社ではこの後も今回の地震を受けて、災害情報の認知状況や発災時の行動、災害への備え等に関する自主調査を実施予定です。
そちらの調査結果についても、いずれHPでご紹介いたしますので、皆さんの一助になれば幸いです。

 

この記事を書いた人

岡本 俊哉都市・交通分野

都市・交通分野長 JCOMM(法人会員)の他、福祉のまちづくり学会、NPO再生塾、NPO枚方環境ネットワーク会議等、まちづくりや公共交通関係の諸団体と関わりを持っています。

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