東日本大震災から6年。その時企業は ~日本貨物鉄道株式会社の事例~

2017.08.16

82

交通のおはなし

こんにちは。ライターの杉山です。 

東日本大震災から今年で6年が経過しました。
その後も日本は様々な災害に直面してきました。
最近では九州北部の大雨により甚大な被害が発生しています。被害にあわれた皆様には心よりお見舞い申し上げます。

さて、今回は東日本大震災の時に本業を通じて被災地を救援したある企業の取り組みを紹介したいと思います。ちなみに、私の前職はその企業であり、東日本大震災の翌年に入社しました。

被災地に石油を!

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、日本全国に大きな爪痕を残しました。
特に、震源地である福島、宮城、岩手の3県では多くの人々が被災し、道路や鉄道などのライフラインが分断されてしまいました。

3月の東北地方はまだ雪が残り寒い時期です。
2011年の東北は季節外れの寒さでした。
物流網が破壊されればさまざまな物資が不足しますが、特に寒さを乗り切るための石油が足りなくなるのは大きな問題でした。

この問題に対応すべく、関東から東北に石油を送り込む計画が持ち上がりました。
しかし、トラックだけでは輸送できる量が十分ではありません。

そこで、鉄道に注目が集まりました。

日本貨物鉄道株式会社(以下JR貨物)。日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化によって1987年に誕生した企業です。

JR線に乗っていて貨物列車とすれ違ったことがある人も多いと思いますが、その貨物列車を運行している企業です。

普段は目立たない企業ですが、この時は本業の鉄道貨物輸送で被災地を救援することになりました。

しかし、関東から東北につながる東北本線は被災しています。そこで、石油タンク車を普段運行していない迂回ルートで輸送するという前代未聞の計画が立てられました。

まずは北東北。
震災後間もない3月18日には、神奈川県根岸駅から日本海経由で盛岡貨物ターミナル駅への第1便が出発しました。
日本海を迂回して青森から盛岡に南下する全長約1000km、所要時間約27時間の道のりでした。
そして、何人もの運転士が交代で乗務して被災地に石油を届けることができました。
盛岡貨物ターミナル駅に石油列車が到着した時には人々から歓声が上がったと聞いています。

次は南東北。
3月25日に根岸駅から新潟経由で郡山駅への第1便が出発しました。
普段貨物列車が運行しない磐越西線を経由しての輸送でした。
磐越西線では車輪が空転し、うまく走行できないというトラブルにも直面しましたが、JR東日本との会社を超えた連携で乗り越えることができました。

この石油列車は、被災地の人々に大きな希望を与えました。

しかし、次なる課題が人々を待ち受けていたのです。

今度は瓦礫を!

物資が不足するという問題の次は、東日本大震災で発生した約2,000万トンもの瓦礫をどう処理するかという課題に人々は直面しました。

この課題に対しても、JR貨物は取り組みました。東北地方の瓦礫を東京都の中間処理場に輸送するというものです。

しかし、東日本大震災で発生した瓦礫は、それまでの震災瓦礫とは異なり放射能による汚染の可能性がありました。瓦礫を輸送することによって放射能が全国に広がることは絶対にあってはなりません。

そこで、瓦礫を輸送するための専用コンテナ(写真)を作成し、盛岡貨物ターミナル駅及び仙台貨物ターミナル駅から東京貨物ターミナル駅まで輸送しました。

専用列車による輸送では1回でコンテナ100個分、約400トンの瓦礫を運ぶことができます。「心をひとつにがんばろう!東北」そのスローガン通り、数多くの瓦礫が処理場に運ばれ復興に貢献することができました。

列車は走るよ、どこまでも

以上のように、鉄道貨物輸送を通じて被災地を救ったのがJR貨物の取り組みでした。

ところで、自動車と違って鉄道は自由に動けません。線路の上しか走ることができないのです。
遅延や運休も発生することがあり、納期が厳しい貨物の輸送には不向きです。
そのため関係官庁では「貨物不要論」が未だに残っていると聞きます。

しかし、危機の時にできることを尽くして人々に貢献するのが企業のあるべき姿ではないでしょうか。

ちなみに当社は、災害の時には自主調査を行い、「情報」という現物ではない価値を通じて社会に貢献しようとしてきました。特に、災害時には現地に足を運び被災者の方に寄り添って、「あの日」を忘れないために数多くの調査に携わってきました。

JR貨物もまた、「物流」という見えない価値で社会に存在意義を示したのです。

以上のように、当社とは業種、業態は異なれど、同じ想いを持つ企業としてJR貨物に共感したことがこの記事を書くきっかけとなりました。

東日本大震災から6年が経過しましたが、震災からの復興にはまだまだ課題が残ります。
元の生活に戻れない被災者の方が未だに多くいらっしゃいます。
また、原発の問題についても結論には程遠い状況です。
だからこそ私たちは、日々の取り組みでできることを探すことが大切ではないでしょうか。
皆さんも電車に乗っていて貨物列車にすれ違ったらこの記事を思い出し、被災地に石油と希望を運んだJR貨物の存在に思いを馳せてもらえると幸いです。

(謝辞)
今回の取材ではJR貨物、日本石油輸送株式会社、全国通運株式会社に写真の使用許可と記事の確認をしていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

(参考)
JR貨物ホームページ

東北運輸局「よみがえれ! みちのくの鉄道」

この記事を書いた人

杉山 文彦静岡事務所 企画課

鉄道と自治体の業務を経験後、現在は官公庁向けの社会調査、計画策定に取り組んでいる。 まだまだ学ぶことは多く、厳しくも温かい職場で修業中。

スポンサードリンク