気候変動と雪まつり(前編)

2020.03.19

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政策のおはなし

ライターの木村です。
今年の冬は記録的な雪不足で、スキー等のレジャーや雪まつり等に影響が生じたと報道されました(2月4日朝日新聞等)。
先日、秋田県内の雪まつりを訪ねましたが、確かに、地面には雪がありませんでした。雪がない中での雪まつりでした。

日本の国土の半分は豪雪地帯に指定されていますが、東日本の日本海側を中心に多くの地域で降積雪量が減少していくと予測されています(気象庁、2013・2017)。
雪がない中での雪まつりが今後増えるかもしれません。
雪まつりへの影響では、観光や地域経済への影響が注目されていますが、雪まつりの「継承」への影響といった場合には、地元の人の行事への愛着や、行事と風土との調和性等も重要な要素として浮かび上がります。
気候変動下で行事の実施環境が変化する中、これらの要素もじんわりと変化し、行事の継承にも影響が及んでいく可能性が考えられます。
実は、私の出身地も豪雪地帯に指定されている岩手県北上市です。
今は埼玉県に住んでいますが、帰省を通じて地元での雪の減少は前々から実感しています。
そして、地元の人の雪に対する知覚のあり方にも変化を感じています。
前置きが長くなりましたが、そのあたりからお話を進め、前編・後編の2編に分けてお届けします。
前編では、雪に対する知覚の変化、後編では各地の風土と調和的な雪まつりとその継承の行方について考えてみます。

これも気候変動の影響?――ある会話の中の違和感

「今年はこれで3回目」――これは十数年前の年末、帰省した時に聞いた言葉です。
「3回目」とは積雪回数のことです。
漠然とした違和感を覚えたため、ずっと記憶に残っていました。
考えてみると、東京にいる時は「3回目」と聞いても違和感を覚えた記憶がありません。
なぜ帰省時には違和感を覚えたのか、改めて考えてみました。

昔を思い起こすと、地元では「ずいぶん降った」「たくさん積もった」と言うのが一般的で、「3回目」というような言い方はしていなかったように思います。
「ずいぶん」「たくさん」は量を示す表現です。
一方、「3回目」は回数を示す表現です。
おそらく地元の積雪に関する関心は“量”にあり、“回数”にはなかったのだと思われます。
雪国では雪があることを前提として冬の暮らしが営まれており、真冬に雪があるのは「普通」のことです。
その状態で新たな積雪を何回重ねても「普通」の状態が続くだけです。
そうだとすれば積雪の回数には関心が向かないでしょう。
一方、たとえ1回であっても積雪量が「普通」以上に多い場合は暮らしに影響が生じ、特別な対応が必要となります。
これは量に関する問題です。
関心が量に向いて当然といえそうです。

これに対して、東京では真冬でも雪のない状態が「普通」であり、雪がないことを前提として日々の暮らしが営まれています。
このような暮らし方にとって、積雪は「普通」ではない特別な事態ということになります。
東京では雪が降るだけでニュースになります。
雪国から見れば「あの程度の雪で大混乱」あるいは「大げさな…」と見えるかもしれませんが、量的には少しであっても「普通」ではない特別な事態なので大きな関心となるのです。
特別な事態の時の状況や対処、あるいはその事態に直面した時の感情等について情報交換する価値はありますので、人々の話題にのぼる可能性も高まります。

こうしてみると「3回目」は、雪国では「普通」の状態が3回重なったことを意味しているに対し、東京では「普通」でない特別な事態が3回目であることを意味していることになります。すなわち、「3回目」は雪国と東京で反対のことを意味していたのです。それでは、雪国では積雪を回数で表すことはないでしょうか? 雪国でも秋から初冬は、まだ雪が「普通」の状態とはなっていません。真冬の東京と同じです。この時期なら回数も関心の対象になりえるでしょうし、会話の話題にのぼる可能性もあるでしょう。

変わっていく「普通」の感覚

このように考えていくと、帰省時に私が持った違和感は、「普通」なら真冬の関心であるはずの積雪量に替わって、真冬の関心ではないはずの積雪回数が会話に現れたために生じたのだと思われます。
すなわち、昔の地元の「普通」と現在の地元の「普通」の感覚との違いが、言葉を通じて実感されたのだと思います。
地元で過ごしていた頃に私に形成された「普通」の感覚が、長く地元を離れて暮らしているがゆえに、未だに私の中で基準として残っていたのだと思われます。

地元で真冬に積雪回数が会話の話題に登場したということは、それが意味を持つ状況がありえることを示しています。
すなわち、真冬でも雪があるのが「普通」ではなくなってきているという状況です。
「普通」とは個人や社会の経験の積み重ねによって形成される感覚であり、多頻度の事象に使用されます。
現在、地元で経験されている多頻度の状況は、私が暮らしていた頃に多頻度であった積雪の状況とは変わっている可能性がありそうです。

◎世代間で異なる原体験風景

この変化が気候変動によるのかどうかは即断できませんが、その関与の可能性はあると思われます。
そうだとすればその影響も受けて、地元における現在の子ども世代が「普通」と思う雪の原体験風景と大人世代の「普通」と思う原体験風景も違っていて当然です。
仮に地元に継続的に実施されている雪まつり等の雪中行事があったならば、行事に対して「普通」と思う風景も世代間で異なって当然と思われます。
すなわち、行事風景と気候風土との調和の感覚は現在の子ども世代と大人世代とで異なっている可能性があります。
こうしたことから、今後の行事のあり方は、気候風土の変化やそれに伴う住民各世代の感覚の変化の影響を受けていく可能性があると見込まれます。
これを一般論に展開すれば、気候変動が地域住民の伝統・文化への関わり方やその継承の行方に影響を及ぼす要因としても浮かび上がってくるといえそうです(木村、2017)。

さて、「これで3回目」を聞いた十数年前とはいつであったか? 観測データを追っていくと2005年あたりかと思われます(気象庁「過去の気象データ検索」)。
前年までは、雪のない年が続いていたからです。
なお、私が聞いたのは「3回」かどうか怪しい感じです。
でも、積雪が回数で表現されていたことは確かに記憶に残っています。

長くなりましたので、続きは「後編」で。

(参考文献・資料)
秋田魁新報、2020、「暖冬少雪乗り越え… かまくら 雪国情緒」(2020年2月16日)
朝日新聞、2020、社説「記録的な暖冬 生活見直すきっかけに」(2020年2月4日)
気象庁、2013、気候変動予測情報8巻
気象庁、2017、気候変動予測情報9巻
気象庁ホームページ「過去の気象データ検索」
木村浩巳、2017、秋田県横手市のカマクラの変容における気候変動の関与-風土の視点から-
木村浩巳、2017、平成28年度研究成果報告書『東北地域における気象・気候情報の高度利用』、ヤマセ研究会

 

この記事を書いた人

木村 浩巳

法政大学地域研究センター客員研究員、専門社会調査士。 2009 年度より環境研究総合推進費E-0906(2)「日本の自治体における低炭素社会構築及び地球環境問題への取り組み促進施策に関する研究」,2010 年度より環境研究総合推進費S-8(2)「自治体レベルでの影響評価と総合的適応政策に関する研究」,2015 年度より文部科学省SI-CAT「気候変動技術社会実装プログラム」に参加。著書に『気候変動に適応する社会』(共著,技報堂出版)、『地域からはじまる低炭素・エネルギー政策の実践』(共著,ぎょうせい)など。

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