中洲川端の魔窟・冷泉荘に行ってみた(後編)

個性的なテナント

入居者さんの工房も見学させて頂いた。人形作家田中勇気さんの博多人形工房(A棟41号室)である。白を基調とした部屋に、窓から日差しが輝く。かつて、白は飽きがこない色だと言っていた芸術の先生がいるが、それもなるほどと頷かざるを得ない。非常にリラックスできる気分にさせられる。制作には申し分ない環境だろう。

田中勇気博多人形工房(A棟41号室)お菓子のような可愛らしさの人形もあれば、驚くほど繊細な線で象られた人形もある。博多人形の奥深さを感じる。

伝統工芸品博多人形の人形作家・田中勇気さん。冷泉荘を作業場として選んだ理由は、博多文化のメッカである中洲川端で工房を構えたいというのと、部屋をリノベーションできる自由度が高いから。工房では博多人形作りも体験できる。

見学の途中、親しげに談笑する杉山さんと田中さんの姿からは、冷泉荘が自由で息苦しくないコミュニティとして成立している様が窺えた。入居者のみなさんが、肩の力を抜き、ゆるやかに繋がれる関係性。それは管理会社のスペースRデザインの運営、または杉山さん独自の采配の効果であろう。

(入居者による独特の標識? 作成者の気持ちを想像するのも楽しい。冷泉荘にはこうした遊び心溢れたものが散見される。)

レンタルスペースも見学させて頂いた(B棟1F、14・15号室)。
ここでは様々なイベントが催されている。「西鉄を語る会」「ゴシックファッションの販売会」、また過去にはお化け屋敷や乗馬具の販売会なども開かれたことがあるらしい。名前を見るだけでも興味の惹かれる面々である。レンタルスペースは随時申し込み募集中である。

多目的スペース(B棟14、15号室)
思わずくつろぎたくなるような空間である。1人でくつろぐためにレンタルすることなんて出来るかしら…。

遂に来た。冷泉荘復元部屋

最後は冷泉復元部屋(B棟54号室)と呼ばれる部屋を見学させて頂いた。足を踏み入れると、そこはまるで昭和30年代にタイムスリップしたかのような空間が広がっていた。この部屋は一般の外部の人間でも見学可能で、住居当時の間取りをできる限り残しているらしい。畳の感触。外の喧噪。私は平成7年生まれであるが、何故か影も形もないであろう昭和の時代への懐かしさを覚えていた。そうさせるのはこの冷泉復元部屋の魅力の為せる業か、はたまた昭和の昔から私自身の身体に流れる日本人としてのDNA故か。

冷泉復元部屋。窓のすりガラスなどは現在では入手困難な部品である。

中洲川端商店街のアーケードが直ぐ近くだ。かつてこの部屋にいた住人は窓の外の景色をどんな気持ちで眺めていたのだろうか…。

押入れ。昭和の生活感を感じさせる。

押入れには当時を偲ばせる様々な品が。ソースの瓶が気になったので杉山さんに聞いてみると、かつてここに住んでいた入居者が置いていったもので、中身は危険なことになっているそう(笑)。
こうした遊び心は普通の美術館・博物館ではお目にかかれないのではないだろうか。

バスルーム。入口が凄く狭い!秘密基地のようである。

1970年頃に導入したと思われるユニットバス。形式がだいぶ古く、現代の技術では修復が難しいという。

ベランダにも出ることが出来た。ちなみに冷泉荘の目の前に広がる冷泉公園は、毎年出発点として祭りの山笠が集まる。まさに博多文化の中心地だ。

このアンテナの錆び具合良いね!
錆びた柵越しに見える青空はまたしても物語の予感を感じさせる…。
この日、屋上は防水工事中で見ることが出来なかったのが残念。

地域との連帯

取材で特に印象に残ったのが、地域への関わりをとても大切にしているということである。2006年から新たに路線変更した冷泉荘。しかし、当初は地域住民から不思議な目で見られることが多かった。博多は元々、ものづくりの職人たちが集まるクリエイティブな街。冷泉荘の「レトロ」の価値を、表面的でなく実践していこう、古い歴史を大切にもっと地元に密着していこう、とスペースRデザイン社長吉原勝巳さんが舵を切ったのが2010年だった。ビル前に掲げられているロゴも博多の筆師・金太夫さんに書いてもらった。徹底した「レトロ」の追求。地域との繋がりの重視。それは冷泉荘が冷泉荘たる個性を発揮するひとつの理由でもある。

(金太夫さんの書いた冷泉荘のロゴ。写真は冷泉復元部屋から。)

取材からの帰り。私の足は自然と中洲川端を貫く博多川のほとりへと動いた。柳がそよぎ、川が緩やかに流れるこの風景は、取材前とは少し違って、私を優しく包み込んでくれるかのように思えた。故郷。この二文字は私の人生には存在しない。転勤族の家庭だった私は、幼い頃から各地を転々とする日々が続いた。当然、昔からの繋がりがあるわけでもなく、土地に未練などというものはない。しかし、身体が大きくなり、行動範囲が増えると、同じ土地であっても、どこか他とは匂いが違うエリアがあることに気付く。雰囲気。人々。背伸びせずともいられる空気。それは各地にポツポツと、点のようにしか存在しないが、どこかまた帰っていきたくなるような場所なのだ。冷泉荘もそうである。これが世間一般でいう故郷に対する感覚だと理解するまで時間がかかったが、そう感じると、私は妙に心強くなった。まだ福岡に配属されて半年にも満たないが、きっとこの街にも慣れていけるだろう。これからどこへ行っても、福岡から離れることがあっても、きっと生きていけるだろう。杉山さんやスペースRデザインのような人々がいる限り、この世界には必ず故郷(ふるさと)が存在するのだから。

「中洲川端の魔窟・冷泉荘に行ってみた(前編)」はこちら!

この記事を書いた人

石田

新卒社員。人生ではじめての土地・福岡に馴染むために、仕事・プライベート両方で日々奮闘中。 最近では炭鉱の本を読んでいます。

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